間についてのお話

高橋浩主 sorriso

出張した時は、余力が残っていればできるだけ外を散歩している。
メイン通りではなく、大抵裏路地や生活臭が漂うような自由を感じる場所。

 

そこにいる人の何かしらの意思が残り情緒となってギュッと固まった心を解してくれる。

 

公共施設やショッピングモール等を歩いていると、空虚感を感じる事がよくある。
その目的の為に計算された空間や導線が設計されているが 、私には設計者の意図通りにしか動けず、自分の意思をその場に反映できない虚しさがある。

 

無駄のないその空間は、無駄の中に自由を見出そうとする意思を拒んでいるかのよう。

 

モノについても似たような感覚を憶える事がある。

 

箸というモノがある事で、人は箸を動かす動作を行う。
逆にいえば、箸というモノによって、その動きをさせられている事になる。

 

だからモノは、それを使う人の行動や、それに伴う感情にも影響を与える。

 

モノが発展する上でのベクトルは、安全性や機能性をベースにしながらも 、ビジネス上、あらゆる欲求を提案し解決しながら「便利」である事に向けられている。

 

今の時代では手間な事は悪とされているような風潮でもある。

 

でも、私たちは、思いやりを行動に移す時、必ず手間をかけている。
手間をかけない思いやりは、感情の伴わない作業となってしまうから。

 

手間の間の中に、心を通わせる時間と行動があるようにも思える。

 

日本は先進国の中でトップの自殺率。

 

「便利」である事と「幸せ」である事はイコールではないのでしょう。

 

だからこそ、デザイナーは幸せとは何かという事を考えていかなければいけないと思う。

 

幸せというベクトルを描いた時、
そのモノでどんな行動を行い、どんな感情を抱いて欲しいのか。

 

その回答の一つとして「間」の存在がチラチラと私の前に現れる。

 

余談ですが、ここに載っている画像は、
2011年にデザインして今でも自分で使い続けているアイテム。


開封しやすいよう、封をするテープの先端を折る気持ちと行為を形にしたもの。
いつも使う時は、届いた相手の「!^^」な瞬間を想像して
ちょっと嬉しい気分になりながら、ちょっと手間をかけて送っています。

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